人とパンダが渡すソフトな架け橋パンダ・マン趙半狄さんインタビューどんな時も可愛らしいパンダとペアの趙半狄さんは、今、若い人々の間で人気のアーティスト。自在無碍にサブカルや公共メディアとの間を行き来するそのアートは、時代と社会に風孔を開け、未来への「希望」にまなざしを注ぐ。
文/林静
現代アートと公共広告が結びついたきっかけは何ですか? パンダと僕とが北京の地下鉄の公共広告の作品で大々的にデビューしたのは、1999年のことでした。僕は当時、中国社会に何らかの形で「登場」したかった。そんな時、乗客の多い北京の地下鉄が、舞台としてとてもふさわしいと思ったのです。そこで僕はいくつかサンプルを作り、直接広告会社の社長の元に持っていきました。
やはり僕が常に一番関心を持ち、精力を注いでいるのは「中国」に対してであり、その中国に何をもたらせるか、なのです。
作品の中で、パンダはどのような意味を持っているのですか? パンダはそれが動物園にいる時はただのパンダに過ぎず、僕が関わる必要もありません。でも、僕とパンダが一緒になれば、それは新しい文化的記号になります。

パンダはある意味で中国の象徴です。でもそんな意味での象徴は空っぽの象徴で、何の意義もないものです。敢えて言うなら、僕はパンダを誘拐し、強制的に自分の親友にしてしまった。僕がパンダの秘書兼マネージャーになったのだと言ってもかまいません。そして僕のマネージメントが、空っぽだったパンダに、可愛らしい内容を付与する。つまり僕はいわばパンダの「誘拐」に成功したわけです。
相棒にパンダを選んだのは、優しい感じがするから。パンダはその柔らかさで、世界を溶かし合わせることができます。僕は世界が優しいものになってほしいのです。世の中では何事にも両極があり、我々はそれらを白と黒で分かちがち。でも僕は第三の可能性を求めたい。
「趙半狄とパンダ」という記号が社会で持つ作用とは? 将来の中国にはどのような可能性があるのか、との意識から、僕とパンダは、株でも不動産でもなく、油絵でも伝統的中国画でもない、「異なる中国」を全世界に示しました。
中国社会は極度のイデオロギー国家の時代から、経済の開放の時代へ移行しました。そして今、2つの勢力が混ざり合っています。この転化の時期に、私たちは中国社会に1つの窓を空けたのです。今はまだ小さくても、それは必ずや新鮮な空気を吸うことができる窓であり、将来はずっと大きなものになるかもしれない窓です。
地下鉄で作品を発表したことに対する、社会の反応は? 主要メディアを含め、おおむね良好でした。作品で伝えている情報は、すべて善意のものですから。
「パンダのことは誰でも知っているが、隣のあいつは誰だ?」という反発はありました。「上司でもあるまいし、なぜ僕らを教育しようとするのだ?」と。でも今はもうそういう声も減りました。なぜなら僕とパンダとの間の真心に満ちた「蜜月」はもう7年にもなり、今の時代、それ自体が「社会のお手本」だからです。
僕の出発点は、必ず公衆と接点を持つことです。その場所は決して画廊ではない。「公共広告」シリーズが出た時、多くの国から展覧の要請がありました。僕はパブリックな次元でチャレンジングな追求を行っている芸術家だとみなされたのです。社会に一歩を踏み出し、芸術界のボーダーを広げたからでしょう。
オリンピックをテーマにした作品群は、どんな動機から生まれたのですか? ソフトで優しいオリンピックをパンダと行うことで、新しい善意に満ちた可能性を求めたかったことです。
昨年、スイスのベルンで、天安門の代わりにパンダを持ち込み、スイスを北京に見立て、多くのベルン市民を巻き込んで、国境と空間を超えた僕個人のオリンピックを開きました。待ちきれない、矢も盾もたまらないからといって、個人でオリンピックを開いてしまう様子はおかしいでしょう。作品には「自分独りで楽しむ」ことへの自嘲も込められています。でもその笑いは開放的で優しいものです。僕はただお堅い方法でなく、オリンピックを、自分ならではの方法でユーモラスに行いたかったのです。
現在はどのような作品を企画中ですか? 僕は最近全国で「パンダ・マン」代表団を選出しています。申し込みが殺到しており、成都だけでも18歳から40歳まで数百人の応募がありました。私自身も四川省へ出かけ、テストや舞台審査などを行いました。最終的にそれは特色を備えた8人程度の代表団となるでしょう。
最初の行き先は台湾地区にするつもりです。なぜなら大陸と台湾地区の間には必ずやこのような代表団が必要だからです。
今後、もし日本へ行くチャンスがあれば、僕は何の党を代表するのでもなく、このパンダ党『Party of Panda』を代表したいですね。この党は、とてもソフトな感じの党となるはずです。
趙半狄さん
1966年北京生まれ。88年に中央美術学院の古典油絵学科を卒業。パンダのぬいぐるみ「ME」と対話の形で「禁煙」や環境保護の問題などを語った作品で話題を呼び、「熊猫人(パンダ人)」との異名を得る。99年、ヴェネチアビエンナーレ出展の他、世界各地で作品を展示。シリーズに「公益広告出場」、「趙半狄の2008年オリンピック」(現在制作中)などがある。今年秋、798廠の北京公社で「趙半狄は歴史と社会の隙間を走り、新しく潜在的な社会エネルギーの主体になっている。これは何を意味するのか?」をテーマに趙半狄個展を開催した。
(2006年11月掲載)