彭飛迷 (彭飛フリーク)
天才Jazz Violinist
テクニックと感情表現、相反する課題として存在する永遠のテーマだ。これは、芸術全般について言えることだろう。例えば、クラシック出身のバイオリニストがジャズを演ると、「確かに上手い。でも音が心に届かないんだ」。そう言われることがほとんどだ。ところが彼は違う。ぜひ聴いて戴きたい、第9回(2月号)で紹介したCOCOの歌声に絡むすてきなバイオリンの音を。
(http://www.new-ossh.com.cn/jp/happy_coco.htm)
彭飛。1978年8月5日、沈陽に生まれる。5才の時、両親に買ってもらった中国製バイオリンで音楽を始める。最初は練習嫌いだった。音楽とは関係のない重点小学校(重点は中国では進学校の意味)に通い、「7~18時×週6日授業」の厳しい小学生生活を(どこぞの国のゆとり教育とは大違い)。沈陽音楽学院中等部に入学後、正式な音楽教育を受け始める。同学院高等部卒業後、96年に超名門の上海音楽学院へ入学、バイオリン学科専攻。
彭飛 ボクが中学生になってから文化開放され、それまで聴いたことのなかった外国の曲が、一気にラジオから溢れて来ました。欧米の曲や日本の曲も。刺激的でした。
松原 多感な時期に全く新しい音楽に触れる、すごい衝撃だったでしょうね。それで、Jazzに接したのはいつ頃ですか?
彭飛 多分中学生の頃から耳にしていたと思いますが、意識したのは高校生の時です。初めは、Bob Jamesなどのフュージョンを聴いていました。
松原 Jazz Violinistを目指したのはいつですか?
彭飛 上海音楽学院入学後です。音楽プロデューサーになるか、Jazz Violinistになるか、1年くらい悩みました。
松原 Violin専攻だと、普通の人であれば、オーケストラに入ることを目指すでしょう。なぜ、その道ではなかったのですか?
彭飛 そうですね。オーケストラからのお誘いも確かにありました。でも興味が湧かなかったんです。ボクにとって、音楽はエンターテイメントです。まず自分が楽しみ、人にも楽しんでもらう。オーケストラに入団して音楽を心から楽しむ自分の姿が、想像できなかったんです。
松原 なるほど。それで、プロデューサーかJazz Violinistの2択になって、より個性的な後者を選ばれたんですね。でも、Jazz Violinistになるぞ、って言ったって、簡単じゃないですよね。世界中でも数えるほどしかいませんし。
彭飛 はい。ですので大学卒業後、Jazz Violin専攻のある欧州へ留学しました。2001年はブリュッセル、翌年はオランダの音大に入学し、Jazzを勉強しました。
松原 欧州でのJazz修業2年、楽しそうだなぁ。そのまま定住したくなりませんでした?
彭飛 いいえ全く。中国人がViolinを弾くだけでも、欧州では奇異な目で見られるのに、それがさらにJazzなんで、キワモノ扱いと言ってもいいくらいですよ(笑)。それに加え、ポジな理由からも帰国したかったですね。急速に発展する母国を見ると、大きなチャンスを掴めそうで。それに、中国人にしかできないオリジナリティのある音楽を創造したい意欲が抑えきれなくなりましたから。
松原 それがあなた方中国人の若者が織り成す新ジャンル、中国Jazzですね。中国人のアイデンティティとオリジナリティを十分に感じます。
彭飛 謝謝。
松原 こちらこそ、非常謝謝。(笑)ライブで観て、本当に鳥肌&感涙モノですよ。
彭飛の普段の姿は、至ってノーマル。普通の中国人の27歳の若者だ。が、ひとたびステージに上がりバイオリンを弾く姿のセクシーさといったら、別人28号だ。艶姿のみならず、バイオリンの音にも、深い感情表現と抜群のテクニックが溢れ出る。豊かな情操と超ハイテク。相反する2つを自然に操る彭飛。詰め込み重視の英才教育を幼児期から受けなかっことも要因だろうし、彼の揺るぎのない人生観(まずは自分が音楽を楽しむ)も大いに関係しているであろう。前途洋々の中国人の若者に、無限の可能性を感じる。そういえば、COCO と一緒に組むband名は“Possicobility”。可能性を創造する意味の造語だ。7月初旬、世界で名立たるジャズフェスティバルの1つ、カナダのモントリオールジャズフェスティバルの出演が決まっている。大ブレーク寸前だ。
インタビューの途中、恐れ多くも、そんな彼に私のピアノとのセッションをお願いした。曲は、COCOの時と同じく、著名なスタンダード曲Misty。優しくも鋭く、かつ包み込まれる様な彼の音。本物だ。これこそ一流だ。同席の秘書曰く、「セッションは、まるで2人でお話をしているように、息がぴったり合っていて、とてもすてきでした」
松原 弘明
福岡県生まれ。大学在学中の80年代初め、プロのジャズピアニストとして福岡で活躍後、沖電気工業株式会社に入社。入社後一貫してサウンド系のLSIの開発に携わる。サウンドLSI商品企画部長の職を経て、2004年2月より上海在住。上海古北の名都城内のイタリアンレストランiI Cuoreで、毎月1回ピアノ演奏中。現在、OKIの半導体マーケティング・設計の中国拠点 日沖科技(上海)有限公司(略称OSTS)董事副総経理。OSTSのHomePageはhttp://www.new-ossh.com.cn COCOと彭飛のband“Possicobility”の音楽は、その中の癒しコーナーで試聴できます。
(中文)
彭飞迷 天才爵士 小提琴手
演奏技巧与情感表现,这一组永恒对立的主题,几乎在所有的艺术门类中皆有体现。比如让一个古典乐出身的小提琴手演奏爵士乐,结果通常是“技巧表现堪称一流,音乐却无法撼动人心。”然而,他却是一个例外。首先,敬请大家聆听一下他的演奏。在第九期(二月号)中介绍的COCO的歌声里,就有他非同一般的小提琴伴奏。http://www.new-ossh.com.cn/ch/happy_coco.htm
彭飞。1978年8月5日出生于沈阳。五岁时用父母给他买的第一把国产小提琴开始了自己的音乐之旅。最初,他和大部分孩子一样很讨厌练琴,他所就读的小学也是和音乐完全无关的重点小学。他度过的是每周6天、每天7-18小时、只求读好书的小学生活。初中进入沈阳音乐学院,开始接受正规的音乐教育。从该校高从该校高中部毕业后,96年进入了著名的上海音乐学院,就读小提琴专业。
彭飞:在我读中学的时候正好赶上文化开放,从电台里一下子听到了之前完全不可能听到的各种外国乐曲。有欧美的,也有日本的。当时觉得真够刺激的。
松原弘明:年轻善感的时期能够接触到全新的音乐,这一定给了你很大的震撼和冲击吧。那么,接触爵士乐是什么时候呢?
彭飞:好像中学的时候听到过,真正有意识去听爵士那是在高中的时候。刚开始听的是Bob James之类各种类型混合的音乐。
松原弘明:立志要作爵士小提琴手是什么时候?
彭飞:是进入上海音乐学院以后。当时,曾经因为犹豫究竟要成为音乐制作人呢还是爵士 小提琴手,整整苦恼了一年之久。
松原弘明:小提琴专业的学生,一般来说都会立志进入交响乐团吧。为什么你没有考虑这个方向呢?
彭飞:是啊。确实也有交响乐团来找过我,但是当时对这方面完全没有兴趣。对我来说,音乐是一种娱乐。首先要娱乐自己,然后才能娱乐大家。我实在无法想象自己进了交响乐团的样子,在那里一定不会有发自内心快乐的自己。
松原弘明:原来如此。在剩下的音乐制作人和爵士小提琴手这两个选项中,你选择了更具个性魅力的后者。但是,要成为爵士小提琴手,并非说说那么简单的。寻遍全世界,真正杰出的爵士 小提琴手真是屈指可数。
彭飞:是的。所以大学毕业后我去了有爵士 小提琴专业的欧州留学。2001年在布鲁塞尔,第二年就读于荷兰音乐大学学习爵士。
松原弘明:在欧洲学了两年爵士,一定过得很愉快吧。没想过在那里定居吗?
彭飞:不,完全没想过。在欧洲,单是中国人拉小提琴就已经让欧洲人觉得瞠目了,更何况是爵士。甚至会被认为是为了迎合某种时髦的刻意仿冒。(笑)。而且,当时还有更具积极意义的理由让我回来。看着飞速发展的中国,我相信其中必定有着属于我的机遇。而且当时还有一种克制不了的澎湃激情,就是非常想创造出中国人自己的原创音乐。
松原弘明:就是包括你在内的中国年青人所创造出的音乐新体裁,所谓的中国爵士吧。我完全能从中感受到中国的个性和原创性。
彭飞:谢谢。
松原弘明:应该我说谢谢才是。非常谢谢。(笑) 你的现场演奏,真的具备让人感怀至深甚至喜极而泣的力量。
生活中的彭飞,非常之普通,和一般27岁的中国年轻人没什么不同。然而,一旦登上舞台拉起小提琴,他浑身散发出性感的魅力,与平时简直判若两人。不仅身姿惊艳,而且透过小提琴的音色,漫溢出深厚的感情和卓越的技巧,那真是丰富的情感和超一流的技巧。彭飞,能够非常自然地掌控好情感与技巧这对天生的矛盾体。这也许正因为他从小并没有接受过填鸭式的所谓英才教育的缘故吧。当然,也与他具有坚定的人生观(音乐之娱人,必先娱己)密不可分。我在这个前途一片光明的中国年轻人身上,看到了无限的未来。这么说来,他和COCO组成的乐队名称就叫“Possicobility”。这是自创的一个词,可以理解为创造可能性。他们已定于7月上旬,参演蜚声世界的著名爵士嘉年华之一、加拿大的蒙特利尔爵士节。中国爵士的华彩即将在世界的注目下粉墨登场。
采访过程中,我班门弄斧地请求他和我一起,用钢琴与小提琴共奏一曲。演奏的曲目就是采访COCO时的、爵士乐界著名的保留曲目Misty。他的音乐,时而温柔时而锐利,仿佛要把人包围在他层层织就的网中。这才是真的音乐。这才是真的一流。在旁的秘书也忍不住说道:“两位键弦交流的样子,就好像知己间侃侃而谈娓娓道来,真是太棒了。”
2006年6月掲載