2010/2/25 木曜日

少数民族の村を訪ねて (湖南省編)

Filed under: その他 — admin @ 16:24:20

三好学生の苗族の村写真に刺激を受け
恥ずかしながら蔵出し写真をアップさせていただく。

数年前の元旦に行った苗族の村
場所は湖南省湘西土家族苗族自治州の鳳凰古城である。 

中国で最も美しい古城といわれる同地だが、
バーが並んでいたり、ネオンでライトアップされていたりという
いわゆる「商業化」にチョッとゲンナリ。
そこで、城内の小さな旅行者で1日ツアーを2日連続で申し込み、
「書家堂」、「勾良」、「老洞」など、
鳳凰周辺の苗寨(苗族の集落)散策に出かけた。 

テナント化されてしまった古城内とは異なり
これらの苗寨では苗族がそのまま生活している
(普通の民家がツアーコースになっていたりする)ので
突然子どもが飛び出してきたり、アヒルがよってきたり
玄関が開いた瞬間、人ではなくブタがノッソリと現れたりと
なかなかホンワカムードのツアーであった。 

そんな中、老洞苗寨で1人の少女が私の後をついてきた。
「オニイサン、どこから来たの?」
と聞いてきたので、正直に(?)
「上海」と答え、「知ってるでしょ」と聞き返す私。
しかし、彼女は首を横に振る。 

彼女はみやげ物
「手編みのブレスレット」
を売りに来ていたことに、少しして気がついた。
「私のオバアチャン、ブレスレット作りの名手なんだ」
「鳳凰古城内で売っているよ」
一緒に歩きながら、そんなセールストークを投げかけてくる。
興を覚えた私は、彼女の道案内の下
苗寨を見学することになった。 

彼女の言葉に適当に相槌を打ちながら苗寨見終わった私。
旅行会社のバスに乗り込む時、
「あげる」
少女はそう言って私の腕に「売り物」のブレスレットを巻きつけた。
「いいの?」と私は少し戸惑いながら聞くと
「ダイジョウブ」
そう、彼女は答えた。 

ふと私は不安になった。
物が売れなくて親から折檻を受ける子どもが
貧困地区では少なくない。 

「ホントに大丈夫?
もう一度念を押して聞く私。
少女は何も言わず、コクリと頷いた。 

帰りのバスの中、
腕のブレスレットを眺めながら
彼女の顔が、なぜか頭から離れなかった。

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苗寨の入り口。いきなり苗族の女の子が走り出て、
ここが活きた集落であることを実感

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当日は氷点下、氷雨であった。それでも元気なのが少数民族のいいところ。

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お婆ちゃんと一緒。屈託のない笑顔は、やはり都会とは異なる

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この苗寨の「小学校」。全校生徒も数人しかいないという

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ブレスレットをくれた少女。今でもブレスレットを見ると彼女を思い出す

(箪食瓢飲)

2010/2/23 火曜日

少数民族の村を訪ねて

Filed under: その他 — admin @ 10:47:00

 今年の春節休みを利用して214日から19日まで、貴州省と湖南省を旅行した。中国に来て初めて、知らない人と同行するパッケージツアーに参加した。日本人向けということで、格安ツアーの時代とは思えないような費用がかかったが、まあそれはいいことにしよう。 

 訪ねた先は主に2つの省の少数民族の村だった。そのほとんどが観光地化された場所なので、少数民族の本当の生活に触れるのは難しい。それでも、苗族(ミャオ族)、布依族(プイ族)、土家族(トゥチャ族)など、さまざまな少数民族に出会えた。 

 アジア一の高さを誇る黄果樹の滝の近くで食堂を営んでいた布依族のおばさんは「畑を耕すだけだったときと比べれば、収入はぐんと増えたよ」と笑顔を見せた。そして、苗族の小さな村では思いがけず民家に招かれた。若いおかあさんは「夫は銀細工の仕事をしている。収入はそれほど多くないけど、生活するには十分よ」と言った。その家に家電製品といえるものは、古いテレビと小さな電気コンロくらいしかなかった。大都会の一般家庭とはかけ離れた状況のこの家では、湯気の立ち上る食卓を家族が囲み、なごやかに食事をしていた。 

 中国政府は少数民族に対し多くの優遇策を実施している。子どもは原則2人までOK、入学試験でも少し点数が上乗せされるらしい。それはそれで結構なことだ。しかし、文明に妙に感化されず、伝統的な生活を失わずにいてほしいと思うのはわたしだけではないだろう。

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黄果樹の食堂のおばさん

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苗族の食卓

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民族衣装を着た苗族のおばさん

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老漢族のおばあさん

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苗族の子ども

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土産物店の前で暖を取る苗族の女性

                             (三好学生)

2010/1/25 月曜日

100年前の予言

Filed under: その他 — admin @ 11:00:12

家で探し物をしていたある日、
引越し用の段ボール箱から1冊の本が出てきた。 

『氷川清話』 

坂本竜馬の師匠にして日本海軍の生みの親であった
勝海舟の随筆集である。 

その中で、日清戦争に関する記述が極めて面白い。
北洋艦隊提督であった丁汝昌は彼の「弟子筋」であったり
かねてから李鴻章を高く評価していたことなどもあり、
翁の中国(清朝)への分析と独特の見解がつづられている。 

探し物を忘れて読み進むうち、
「日清戦争はおれは大反対だったよ。」
という一文が目を引いた。 

その中で翁はいう。 

「中国(※)の実力が分かつたら最後、欧米からドシドシ押しかけてくる。ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は中国と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるにかぎるよ。」 

「一体中国五億の民衆は日本にとつて最大の顧客サ」 

「ともあれ、日本人もあまり戦争に勝ったなどといって威張っていると、後で大変な目にあふヨ。(中略)経済上の戦争にかけては、日本人は、とても中国人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ。」

 翁の語る中国論
日清戦争直後、戦勝に浮かれていた日本人からは、
おそらく一笑に付されたであろう。 

しかし、現代人から見るとどうだろう。
その言葉は、100年先の未来を見透かた
まさに「予言」であった。

思えば、日本の対中国政策は、
常に海舟翁の提言を無視し続けてきた。 

そして今になってそれに気づき
「友愛」などという言葉を使いながら
必死に中国に擦り寄ろうとしている。
しかし、中国はすでに
日本にとって欠くことのできない「VIP」になっているし、
またそこでも日系企業は欧米企業に後れを取っている感を否めない。 

いつまでたっても後手後手の日本。 

次の時代に同じミスを繰り返さぬためにも
海舟翁の一言一言をかみ締める必要が
あるのではないだろうか。

箪食瓢飲 

参考『氷川清話』(講談社学術文庫)
勝海舟 /江藤淳 松浦玲  

※原文は「支那」であるが、編集方針により「中国」に改めた。

2009/12/30 水曜日

上海で越す冬・・

Filed under: その他 — admin @ 19:00:00

みなさま、今日も1日お疲れ様です。冬でもコートを着ない主義、元気いっぱいの豆です♪ さて、今日は上海の冬について書いてみたいと思います。私は今回初めて上海で冬を越しますが、以前北京にいた時はどんなに外が寒くても、部屋の中は非常に温かく過ごしやすかったので、部屋着は冬でもTシャツ&短パンでした!!w でも上海ではそうはいきませんね。。。部屋の中が寒すぎ!!電気ストーブを購入し、更に電気毛布も購入し、そしてまた更に暖房もボーボー炊いているのにもかかわらず、さ・む・い!!ww 普段部屋で靴下をはかないのがモットーだったのですが、今となっては必需品になってしまいました・・。皆様は上海の冬は耐えられますか・・・・・???笑。 せめて雪が降ってほしいと願う今日この頃です。それでは本日もおつかれさまでした●V●

2009/12/29 火曜日

今日もお疲れ様!!

Filed under: その他 — admin @ 19:12:42

豆です! 2009年もあと3日ですね!

営業もラストスパートで、毎日忙しいです!

今日は外に出ずっぱりでした。寒かったですね~!

でも、豆はどさんこ(道産子)なので大丈V(^^)V

では、今から、ご飯をたべに行ってまいります!

北京から来た友達と一緒に、ラーメンかな・・・。

寒い日はやっぱりミソラーメン・・・だけど、どさんこの私はラーメンには厳しいんですよ(`ω´)/

それでは、皆様、いい夢を・・・。

☆豆☆

2009/12/28 月曜日

はじめまして★

Filed under: その他 — admin @ 12:56:42

皆様、こんにちわ。新米営業の豆です。実はまだ23歳のピチピチです。スーパーシティに入社して、まだ4ヶ月ですが、よろしくお願いします。頑張って更新いたしますので、皆様どうぞよろしくお願い申し上げます♪   豆

2009/12/4 金曜日

董健吾記念銅像の開幕式

Filed under: その他 — admin @ 15:10:34

 10月号の第2特集「映画が刻み続けた60年」の取材に協力してくださった、地下党員・董健吾氏のご家族から、私の元に“情熱的”な招待状が届きました。1227日、青浦区の人文記念公園「福寿園」で、董健吾氏の銅像の開幕式があるとのこと。僭越ながら、私も董健吾ファミリーの“一員”として、参加させていただきました。  当日の“主役”は、宋慶齢の通信員だった健吾氏の娘さん(車椅子の方)。90歳とご高齢ですが、すこぶる元気で、思い出話に花を咲かせてらっしゃいました。 

 「福寿園」は、上海で有名な霊園で、多くの著名人が眠っています。まだ存命な著名人の“予約”もひっきりなしにあるとのことで、霊園というより公園のような、不思議な空気に包まれた場所でした。今回の董健吾氏の銅像は、「福寿園」と青浦政府が100万元をかけて作られたというもの。台座には、彼が牧師だった頃の教会と3人の子どもの顔も刻んであります。ちなみにこの子どもは、董健吾が面倒を見た毛沢東氏の息子たちです。   式典には、元上海地下共産党委員会の書記を務めた方や、新四軍(抗日戦争時代、中国共産党が率いる人民軍隊)のご家族など多くの来賓が集まり、銅像の前にはたくさんのお花が贈られていました。  その後の食事会では、まだまだ私の知らない、濃い歴史の話などしてくださり、改めて勉強しなくては! と、考えさせられました今回のことのきっかけは第2特集でしたが、本当に素晴らしい体験をさせていただきました。ご家族の方にも、特集の記事を絶賛していただき、編集冥利に尽きる非常に充実した1日でした。

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MAY

2009/11/3 火曜日

上海でイスラム体験!

Filed under: その他 — admin @ 18:53:45

12月号のローカルブランドのコーナー。今月は毎週金曜日になると、イスラム礼拝が行われている、澳門路&常徳路にある沪西清真寺に行ってきました。

この日は、上海中のイスラム信者が集まり、アザーン(礼拝の声)を聞きながら、聖地・メッカに向かって礼拝をします。誌面では、なかなか宗教について書くことができないので、この付近で味わう新疆グルメを紹介しています。

この沪西清真寺は、上海では古ら地元の人々に愛されている寺院で、その始まりはくか今から90年ほど昔の1914年に遡ります。

新疆ウイグル自治区からやってきたウイグル人や回族といったイスラム教の人たちが多く集まる地区であったこの場所のある小さな部屋に、臨時のイスラム礼拝堂を設けたそうです。そして、1921年に上海イスラム董事の投資で正式な寺院を建設。1935年に現在のように200人同時に礼拝が可能な大規模な寺院に生まれ変わり今に至ります。

寺院の中は厳格に男性礼拝堂と女性礼拝堂が分かれており、礼拝の前には、しっかりと手や足を洗って清めていました。こんな場所に、興味本位で行ったら怒られるかな・・・?と思いましたが、そんなことはなく、かなりオープンで、「しっかり見学していってね!」と、友好的な雰囲気でした。

その付近の様子は、また次回にて!

*とってもフレンドリーですが一般的なマナーは守りましょう。

さんせん

2009/10/12 月曜日

改めて感じた日本の閉塞感と中国の影

Filed under: その他 — admin @ 12:13:22

新中国成立60周年の派手派手しい記念式典をわたしは上海の浦東国際空港の待合室で見ていた。今年は国慶節の休みが通常より1日長い8日間。わたしはこの休みをフルに使って13カ月ぶりに日本へ一時帰国した。普段はふるさと岡山の往復だけだが、今回は所用があって大阪、東京、長野、再び大阪と回って岡山に帰るというかなりの強行軍となった。

せっかく東京、大阪という大都会に行くのだからと、代表的な繁華街を歩いてみた。東京には102日の昼過ぎに着き、新橋駅から銀座通りを歩いた。早速、中国人留学生とおぼしき2組のカップルに出くわした。さすがに留学生の懐の余裕は少ないようで、ひたすらウインドーショッピングをしているようだった。そうこうするうちに恰幅のいいお父さんを中心とする1組の家族を見つけた。女の子の一人っ子のようで、お父さんは一人娘に大甘。おしゃれな子ども服の店でねだられるままに買い求めていた。そして、三越の前へ。待ち合わせのメッカであるライオン像の前にも何人かの中国人がいた。そこを通り過ぎた1組のカップルについて行くとティファニーの店に入っていった。買いはしなかったが、女性が宝石を品定めする目は冷やかしとは思えない真剣さがあった。松屋の前には見慣れない喫煙コーナーが。いつのまにか路上の喫煙が禁止されていた。通りかかった中国人男性は「まったく、日本じゃたばこを吸うのに苦労するよ」と嘆いていた。新橋から松屋前まで歩いた時間は30分ほど、その間に見かけた中国人と思われる人は30人を超えた。見かけだけでわかる欧米系の人とその数はほとんど変わらなかった。 

銀座をあとに雨がそぼ降る秋葉原へ。シェーバーを買うために大手電器店へ行った。そこには1組の中国人の買い物客がいて炊飯器について店員に細かく聞いていた。シェーバーのコーナーで商品を見ていると1人の店員が声をかけた。「どんなものをお求めですか」、流ちょうだが明らかに中国人とわかる発音だ。名札を見ると揚と書いてある。「中国人のお客さんは多いですか」とわかりきった質問をしてみた。「はい、中国人のお客さんは増える一方です。国慶節でもあるので、たくさん買ってくれるんじゃないでしょうか」と答えてくれた。このフロアでは4人の店員のうち2人が中国人だった。 

大阪でも中国の影は至る所に見られた。小さな商店街の看板には英語、ハングルのほかにひときわ目立つ色で「熱烈歓迎」と記されていた。道頓堀川にかかる戎橋の上では記念撮影をする中国人観光客の姿が絶えなかった。心斎橋筋でも中国人の買い物客を大勢見かけた。 

ふるさと岡山は静かだった。わたしが子どものころわくわくするスポットだった中心部のデパートは閑古鳥が鳴いていた。商店街を歩く人の姿もまばらだった。地方の経済は確実に疲弊している。数多くの知人に会ったが大半が疲れた表情をしていた。高々4年しかないわたしの中国での体験談にみな真剣な表情で耳を傾けてくれた。「岡山という小さなエリアで生き残ろうとするのは無理だ。外に打って出るしかない」、そんな声を何度も聞いた。 

こうした状況は日本に帰る前から予想はしていた。しかし、その予想が現実になってみると笑ってはいられない。少子高齢化や国と地方自治体の財政難、否応なしに進む経済のグローバル化、個人の努力だけでは乗り切れない問題が山積している。日本はどこへ向かおうとしているのだろうか。

                              
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戎橋の上で記念撮影をする中国人観光客

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大阪の小さな商店街にかかる“熱烈歓迎”と書かれた看板

                                                                (三好学生)

2009/9/9 水曜日

風邪が流行ってまいりました。

Filed under: その他 — admin @ 17:11:23

社内で体調を崩す人が続出しています。皆様お元気ですか?私も流行を先取りしてか、季節の変わり目なのか、奇襲のごとく寒気が襲ってきました。熱は即効で下がったのでインフルエンザではないとは思うのですが、内心ヒヤヒヤものでした。今はなんとか元気になりましたが、日頃からインフルエンザにかからない生活を心がけなければなぁ・・・と思います。なんだか集中力が散漫なので本日はココまで!(←いつも短いクセに)

さんせん

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