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キダム

今、湖南省の日本人会が熱い!日中が手を取り合ったシンポジウム、「地球市民を目指して!」

湖南省長沙市。多くの革命家を生んだこの街で、日本人と中国人が手を携えて1つの命題に相対した。日中共同シンポジウム「地球市民を目指して!」。国や言語、文化を超えて、お互いにを理解しあえる「地球市民」になるために、駐在員とその家族、また留学生が参加、中国の学生や社会人と向き合ってそれぞれの立場から徹底討論した。熱気に包まれた会場を、スーパーシティが密着取材。



日本料理店もカラオケもいらない、
湖南省で生きる日本人の新たな目線


新中国建国の元勲を多く生んだ内陸の土地湖南省。沿海部の大都市のような華やかさとは無縁な土地柄だけに、ここの日本人は他とは異なった視点を持って生活している。まずは湖南省と、ここを拠点に活躍する日本人から見てみよう。

 南省はもともと農業が盛んだったが、最近はIT産業やバイオテクノロジーなど、近代産業の発展も目覚しく、長沙、株州そして岳陽などの街に、外資系企業が進出するようになった。日系企業にはヤマハや長沙日立、関西ペイントなど大手も散見でき、長沙市内には「平和堂(百貨店)」という日系小売流通業が進出、長沙市民の高い人気を得るまでに発展している。

 現在、湖南省で生活する日本人の数も徐々に増えており、駐在員やその家族、そして留学生や日本語教師など200人あまりが集まっている。そして彼らが組織するのが湖南省日本人会(寿谷正潔会長)だ。この組織は1994年に発足し、すでに10余年の歴史を有している。現在の湖南省日本人会は、すでに130人ほどの日本人が参加するまでに成長した。

湖南省とは

面積 21万平方キロ
人口 約6600万人
省都 長沙市 
民族 漢民族が多数を占めているが、苗族、土家族などの少数民族も多く暮らしている。また省内の鳳凰古城は「中国で最も美しい古城」と呼ばれている。
料理 湖南省の料理は「湘菜」、もしくは毛沢東の故郷であったことから「毛家菜」とも呼ばれ、唐辛子を多く使用する激辛料理として有名。
名物 革命家(毛沢東を初め、朱徳や劉少奇など多くの革命家を生んだ土地として知られている)。


中国人と同じ目線で生活

 中国の大都市には多くの日本人コミュニティが存在している。それらは「駐在員」、「太太さん」、「留学生」などに大別されるが、それを越えた交流は決して多くはない。それに対し、湖南省日本人会は企業の駐在員から現地で教鞭を執る日本語教師、そして日本人留学生に至るまで、年齢や活動分野を問わず多くが参加している。確かに北京の日本商会や上海の日本商工クラブなどに比べると、規模の小ささは否めないものの、彼らはその身軽な組織を活かし、立場にこだわらない、日本人コミュニティを作り上げている。

 一方、大都市の日本人駐在員の生活といえば、日々大きなストレスとプレッシャーに耐え、その息抜きとしての「ゴルフ」や「日本料理店」、「日本語の通じるクラブ」への往復が一般的である。沿海部の大都市には「日本人用ビジネス」が成熟しており、街中には日本料理店やクラブ、カラオケなどの店舗があるからこそ、このような楽しみ方ができるのだが、湖南省はその省都である長沙市でも、日本料理店の数はまばら。日本食が懐かしくなったとしても「チョッと一杯」と日本と同じような感覚で暖簾をくぐることはできない。

 中国大都市の生活に慣れてしまった駐在員からしてみれば「味気ない」生活に思えるかもしれない。しかし、湖南省の日本人はこういった「逆境」の中で、大都市の日本人コミュニティとは異なる分野の活動へと進んでいる。それが「日中の相互理解への取り組み」だ。


そして共同シンポジウム開催へ

 湖南省は前述のような日本人向けのサービスがないからこそ、中国人により近い位置で、中国人の目線で生活することになる。だからこそ中国人の文化や考え方に接し、日々、日本との違いを体験し、両国の相互理解という命題をより身近に考えるようになった。

 湖南省日本人会は、日本人会会員が省内の農村を体験する「農村1泊体験会」を何度か開いているが、日本人がうかがい知ることのできない農村社会、その理解のきっかけを与えることともなった。一方で、日本語を学ぶ中国人学生たちとの交流の場を多く持つほか、「日中友好座談会 中国人の考え方・日本人の考え方」を2005年2月および10月、そして06年3月に開催し、日本と中国の相互理解を深めてきた。そして今年5月、その発展系ともいえる今回のシンポジウム「地球市民を目指して!」の開催となったのである。

 この日中共同シンポジウム「地球市民を目指して!」とは「急激にグローバル化する世界、地球規模で起こっている大規模な変化に対して日本人、中国人が個人レベルで何をしなければならないのかという問題を考え、行動しよう」ということを呼びかけたもの。

 活動の中心となっている松永純・日本人会事務局長をはじめ、湖南省日本人会メンバーは「日本人が中国で生活する以上、地元を理解し、溶け込み、友好を図るのは当然の責務」という理念を持ち続けてきた。数々の交流活動もその一環だが、今回はそこからさらに1歩踏み込み、相互理解を日中からグローバル規模にまで広げようと考え、このシンポジウムを企画。湖南省や長沙市の外事弁公室の協力を得、そして北京大使館の井出敬二公使や、作家であり新日中友好21世紀委員会の石川好氏など、そうそうたるメンバーを招いての開催となったのだ。●


湖南省における「日本人のルーツ」

1906
近代日本の文人「徳富蘇峰」が湖南省長沙市を訪れた。当時は中国国内において最も日本語学習熱が盛んな街であり、「リトルジャパン」とまで呼ばれていた。蘇峰はここの観光地にはこの土地の中国人が日本語を覚えて書いた「アイウエオ」や「いろは」などの落書きが多く見られたと書き記している。

1907
日本の漢学者「宇野哲人」が長沙市を訪れる。当時の長沙市は中国における貨物の集積地であったことで、非常に活気のある街として宇野氏の目に映ったようだ。そしてこの土地で長沙市の人々に接した彼は「もし将来中国に大きな変革が訪れるならば、それは湖南省から始まるだろう」と予言した。

1921
文豪「芥川龍之介」も湖南省を訪れた日本人のひとり。彼が訪れた時には日中関係は悪化。しかしながら湖南人の気質に関する記述も。ちなみにこの当時毛沢東は自身の母校である「湖南第一師範学校」の校長を務めていた。
(石川好氏がシンポジウムの席上で紹介していた内容をもとに作成)



白熱討論
テーマは「グローバル感性をつかめ!」

5月19日、「地球市民を目指して!」が開催された。このシンポジウムは湖南省日本人会と湖南師範大学が共同で開催したもの。湖南省日本人会の会員のほか、北京から井出敬二公使、また基調講演者として新日中友好21世紀委員会の石川好氏や湖南師範大学の冉毅教授も出席し、かなり突っ込んだ意見交換が行われた。


新日中友好21世紀委員会 石川好 氏
作家・評論家。1947年東京都伊豆大島生まれ。1989年『ストロベリーロード』で第20回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。


シンポジウム基調講演

地球市民への第1歩は 国籍を超えた「信用できる友人づくり」

「地球市民」とは何か? どうすれば「地球市民」になることができるのか? 
石川好氏の基調講演は、シンポジウム参加者に共通の「地球市民像」を示してくれた。



 「もし自国に危険が迫ったとき、自分や家族を託すことができる、信頼に足る友人が、海外にいますか?」

 こんな質問を投げかけられた時、どれだけの人が「はい、います」と応えられるでしょうか。実は、この答えがあなたが「地球市民」になれるかの鍵を握っているのです。

 まず現在の世界はグローバル経済が叫ばれ、インドや中国株の動向が非常に短時間で海外にも影響を及ぼすほど、経済的なつながりは密接になっています。特に通信技術の発展は、ほとんどリアルタイムで各国の情報が自国に流れ込んでおり、世界がどんどん小さくなっているのは周知の事実です。

 しかし、国境を越えるのは経済や情報だけではありません。環境破壊による気候変化の悪影響も、同じく国境を越えた問題となり、世界中でそれらについての討論が行われています。

 中国の砂漠化を例にとれば、それはすでに中国1カ国だけの問題ではなくなっています。今や北京を覆わんばかりになっている黄砂は日本海を超え、日本列島にまで影響し、時にははるばる太平洋を渡り、アメリカにまで達しているとまでいわれています。

 こういった自然災害の前には国境や富といったものはまったく無意味の物に過ぎません。自然災害は決して人を差別することなく、襲ってくるもの。そしてこれらのは貧富の差など関係なく、すべての人に関係してくる問題なのです。

国境を越えての相互信頼をここから

 こうした状況の中で、冒頭の質問をもう一度考えて見ましょう。災害や病気が国境を越えて広がっている以上、そのような問題の解決も国境を越えて当たることが必要になってきます。その中で海外に信頼できる友人がいるということは、すなわち国籍にとらわれず、共に1つの問題に当たることができる仲間がいるということなのです。

 よく「人は1人では生きられない」といいますが、国家も同様、1国だけでは生きられないのです。だからこそ、海外に互いに信頼し合える友人を多く作り、それらをつなげていくことが、地球市民へと成長していくためのステップとなるのです。

 ではそのような友人を作る方法とは何でしょう?

 まず「異文化、海外の人をより多く、より深く知ること、そしてそのために言語や文化、歴史を学ぶ」こと、そしてまた少しでも多く自国の外へ出かけることでしょう。

 「隗より始めよ」という古い言葉が中国にありますが、地球市民への道も自分から、そしてここ湖南省長沙市から始めていきましょう。(談)●



湖南師範大学 冉毅教授
湖南師範大学国際交流合作処処長。日本語も堪能で、日本との学術交流を多く手がける


シンポジウム基調講演2

「日本八景」のルーツから探る 日本の異文化の受容性
2人目の基調講演は湖南師範大学の冉毅教授。冉教授は日本の「八景」文化のルーツを探りながら、グローバル化に必要な異文化受容性を日本人に見出している。


 本には「日本八景」など多くの「八景」が存在していて、いずれも美しい景色の中から、最も美しく見える場所8つを選び抜いたものです。しかし、そのルーツが中国湖南省にあるということを知っている人は多くはないかもしれません。実は「瀟湘八景」にまでさかのぼるのです。

瀟湘八景とは?

 まずこの「瀟湘八景」とは、中国北宋の後期、11世紀ごろに成立したとされる、湖南省洞庭湖を眺める風景8つを選出したもので、その風景はそれぞれ「洞庭秋月」・「漁村夕照」・「山市晴嵐」・「遠浦帰帆」・「煙寺晩鐘」・「瀟湘夜雨」・「平沙落雁」・「江天暮雪」の8つです。

 この瀟湘八景は北宋末に一気に文人界に広がり、多くの詩や水墨画の題材となりましたが、南宋の末ごろから元の時代にかけて、急に瀟湘八景の人気は衰退してしまいます。ところがそれとは逆に、当時の日本で「瀟湘八景」ブームが巻き起こり、一過性の流行として片付けられないほどの大きな波が及んだのです。

 では瀟湘八景はどのようにして日本へと伝わったのでしょう。福岡県聖福寺住職であった鉄庵道生が「博多八景」を選出したのが1319年ですから、それより少し前、私は13世紀後半の元代に朝廷の使者として日本へ使わされた禅僧が瀟湘八景の詩や水墨画を持ち込んだのが最初ではないかと推測します。

瀟湘八景で見る日本人の異文化受容能力

 この時期には本家である中国では瀟湘八景はすでに時代遅れのものになっていましたが、日本ではたちまち広まり、明治までに112点の瀟湘八景画が描かれ、さらに19点の瀟湘八景画が中国から輸入されました(いずれも冉教授の統計)。日本画の瀟湘八景に関する作品数はおよそ中国の6倍にも上ります。

 中国から伝わった「八景文化」は近世から現代に至るまで、深く日本に根付いているのです。

 このように日本は異文化である中国文化を受け入れながら、本来の中国文化の風格を残したまま自国の文化と融合させて、今まで継承してきました。

 このような日本の先人たちが持っていた異文化を受け入れる気風、それは今の異文化交流にはとても大切なことではないでしょうか。(談)●


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※内容は『SUPERCITY CHINAビジネス07.8月号』より一部抜粋して掲載しております。全ページをご覧になりたい場合、左上の「電子BOOKを読む」からお入りください。

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